5話を通じて伝えたかったこと、最後のメッセージ
あなたは今日、目が覚めた。
ご飯を食べた。誰かと話した。
それだけで、もう十分すごい奇跡と開運のなかにいる。

5話を振り返って
第1話からここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。
20代で大病を患い、余命を宣告される。
当時の私には、自分の人生にそんな出来事が起こるなんて想像もしていませんでした。
そして今、こうして自分の言葉で体験を振り返り、皆さまにお伝えできていること自体が、奇跡のように感じています。
正直、この話を発信することには迷いもありました。
病気のことを思い出すのは決して楽なことではありませんし、自分の弱さや苦しさを人前にさらすことへの不安もありました。
それでも書こうと思ったのは、この体験は自分にとって大きな意味があると確信したからです。
あの病気は、間違いなく私の人生で最も苦しく、最もつらい出来事でした。
失ったものもあります。
涙を流した日も数えきれません。
何度も不安に押しつぶされそうになりました。
けれど振り返ると、その経験は同時に、人生で最も大切なことを教えてくれた出来事でもありました。
生きていることの尊さ。
当たり前の日常のありがたさ。
人とのつながりの温かさ。
そして、今日という一日が決して当たり前ではないということ。
病気になる前の私は、それらを頭では理解していても、本当の意味を分かっていなかったのだと思います。
だから今は、不思議なくらい素直な気持ちでこう思えます。
あの経験があったからこそ、見えるようになった景色がある。
あの経験があったからこそ、出会えた気づきがある。
もちろん、病気になりたいと思う人などいません。
私自身も二度と経験したくありません。
それでも、あの出来事が私に与えてくれた学びや出会い、そして人生への感謝の気持ちは、これからも大切にしていきたいと思っています。
もしこの体験談が、今何かに悩んでいる方や、苦しい時間を過ごしている方の心に少しでも届いたなら、それ以上に嬉しいことはありません。
そしてこれからも、一日一日を大切に生きながら、自分の体験を通して誰かの力になれるよう歩んでいきたいと思っています。
病気になって、初めて分かったこと
病気になって初めて、私は「生きていること」の意味を深く考えるようになった。
いや、正確には「生かされていること」と言ったほうがいいのかもしれない。
健康だった頃の私は、それが当たり前だった。
朝になれば目が覚める。
息をする。
歩く。
食べる。
働く。
そんな毎日が永遠に続くような気がしていた。
そして、その当たり前のありがたさに気づくこともなかった。
日常に恵まれていたからこそ、その恵みが見えなくなっていたのだと思う。
けれど病気を経験し、自分の命と向き合ったとき、その見方は大きく変わった。
今日という一日は、決して当たり前に与えられているものではない。
数え切れないほどの奇跡の上に成り立っている。
心臓は休むことなく鼓動を続けている。
肺は絶えず呼吸を繰り返している。
脳は膨大な情報を処理しながら、私たちの意識を支えている。
そして体中の細胞たちは、この瞬間も黙々と働き続けている。
私たちが眠っている間も、何も意識していないときでさえ、その働きは止まらない。
誰かに褒められることもなく、感謝されることもなく、ただ静かに命を支え続けてくれている。
その事実に気づいたとき、私は胸が熱くなった。
生きているのではなく、生かされている。
そんな感覚が自然と湧いてきた。
もちろん、科学的に説明できることもたくさんあるだろう。
けれど、それだけでは言い表せない不思議さや尊さが、命にはあるように思えてならない。
だから私は今、朝目を覚ましたときに思う。
今日も生きている。
今日も生かされている。
それだけで、本当は十分にありがたいことなのだと。
そして、当たり前に見えるこの一日こそが、かけがえのない奇跡の連続なのだと感じている。
私は一度、その「当たり前」を失いかけた。
だから分かる。
あなたの体は、あなたが思う以上に、一生懸命生きている。
「生きてるだけで開運」の意味
このメディアのタイトルは、「生きてるだけでもう開運」です。
初めてこの言葉を見たとき、「少し大げさでは?」と感じる人もいたかもしれません。
以前の私なら、そう思っていたかもしれません。
けれど今の私は、本気でそう思っています。
なぜなら、生きているということ自体が、すでに大きな恵みだからです。
生きているから、誰かと出会うことができる。
生きているから、新しいことに挑戦できる。
生きているから、美しい景色に感動し、誰かの優しさに触れ、笑うことができる。
失敗してもやり直せる。
迷っても立ち上がれる。
夢を持つこともできる。
それらすべては、生きているからこそ与えられている可能性です。
病気を経験するまでは、私もそんなことを深く考えたことはありませんでした。
運が良いとか悪いとか、何かを手に入れることばかりに意識が向いていたように思います。
けれど命と向き合ったことで、考え方は大きく変わりました。
本当の幸運とは、特別な成功や大きな出来事だけを指すのではない。
朝、目を覚ませること。
大切な人と話せること。
食事をおいしいと感じられること。
空を見上げられること。
そんな何気ない日常の中にこそ、かけがえのない価値がある。
そして、その価値に気づき、感謝できる心こそが人生を豊かにしてくれるのだと思っています。
私は、それを「開運」と呼んでいます。
運がどこかからやって来るのを待つのではなく、すでに与えられている恵みに気づくこと。
当たり前だと思っていたものの中にある幸せを見つけること。
その瞬間から、人生の見える景色は少しずつ変わり始めます。
だから私は今日もこう思います。
特別な何かがなくてもいい。
まずは、生きていること。
それだけで十分に尊く、ありがたいことなのだと。
そして、その尊さに気づけたとき、人はすでに大きな幸運の中を生きているのだと信じています。
最後に、あなたへ
もし今、つらいことを抱えているなら。
もし毎日の生活が「体たらく」に感じているなら。
もし「自分なんて大したことない」と思ってしまうことがあるなら。
どうか、今日ここまで生きてきた自分を少しだけ認めて褒めてあげてほしい。
私たちはつい、自分に足りないものばかりを探して見てしまう。
誰かと比べて落ち込んだり、できなかったことを責めたり、思い通りにならない現実に苦しくなったりする。
私もそうだった。
けれど病気を経験し、命と向き合ったことで気づいたことがある。
それは、生きているということ自体が決して当たり前ではないということだ。
朝、目を覚ますこと。
呼吸をすること。
誰かの声を聞くこと。
空を見上げること。
笑うこと。
泣くこと。
悩むことさえも、生きているからこそできる。
だから私は今、心から思っている。
生きていることそのものに、大きな価値があるのだと。
何かを成し遂げたから価値があるのではない。
誰かに認められたから価値があるのでもない。
今この瞬間も生きている。
それだけで十分に尊く、かけがえのない存在なのだ。
私は余命を宣告されたあの日から、多くのものの見方が変わった。
そして最後にたどり着いた答えがある。
それは、とてもシンプルなものだ。
生きているだけで、すでに奇跡の中にいる。
生きているだけで、すでに開運している。
だから今日という一日を、どうか大切にしてほしい。
あなたが見ている空も、感じている風も、出会う人も、すべて二度と同じ瞬間は訪れない。
そのかけがえのない一日を生きていることを、どうか忘れないでほしい。
そしていつか、ふと立ち止まったときには思い出してほしい。
あなたが今ここにいること自体が、何より尊く、かけがえのない奇跡なのだということを。
生きてるだけで、もう開運している。
今日という日を、どうか大切に。
あなたの命は、奇跡と開運でできている。
あなたが
生きてるだけで…もう開運している。
心配しなくて
大丈夫! 大丈夫! だいじょうぶ!
あなたは必ず「開運」して幸せになります!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
—こんびね—


