「大きな病気になったのに、どうしてそんなに前向きでいられるのですか?」
余命宣告を経験した私が、これまで何度も聞かれてきた言葉だ。
でも実は、最初から前向きだったわけではない。
不安で眠れない夜もあったし、「なぜ自分だけが」と何度も心の中で叫んだ。
それでも少しずつ前を向けるようになったのは、人生を諦めたからではない。
大きな病気を通して、本当に大切なことに気づけたからだった。
今回は、余命宣告を受けた私の考え方がどのように変わっていったのか、その経験をここでお話ししたいと思う。
大病を告げられた日、前向きなんて無理だった

20代中盤のある日、私は医師から大病を告げられた。
そして、その言葉の中には「余命」という現実も含まれていた。
その瞬間、頭の中は真っ白になった。
医師は何かを説明していたはずなのに、ほとんど耳に入ってこない。ただ目の前の景色だけが、ゆっくりと遠ざかっていくような感覚だった。
病院を出たあと、自分がどうやって家に帰ったのかもよく覚えていない。
正直に言うと、私は最初から前向きだったわけではない。
むしろ、その反対だった。
悔しかった。
腹が立った。
怖かった。
そして何より、
「なぜ自分だけが…」
その言葉が、何度も何度も頭の中を駆け巡っていた。
まだやりたいことがたくさんあった。
行きたい場所もあった。
会いたい人もいた。
これから始まるはずだった人生が、突然目の前で止められたような気がした。
病室のベッドで天井を見つめながら、眠れない夜を何度も過ごした。
消灯後、周りに気づかれないよう布団をかぶり、声を押し殺して泣いたこともある。
「頑張ろう」
「前向きになろう」
そんな言葉は、その頃の私には届かなかった。
もし誰かに、
「考え方次第だよ」
「前向きに生きようよ」
と言われていたら、きっと心の中で反発していたと思う。
それほどまでに、私の心は壊れかけていた。
だから今、病気と闘っている人に対して、私は簡単に「前向きになってください」とは言えない。
苦しいときは苦しい。
泣きたいときは泣けばいい。
不安になるのも、弱音を吐くのも当然だ。
私自身がそうだったから。
ただ・・・
そんな私でも、時間が経つにつれて少しずつ心に変化が生まれた。
それは無理やり前向きになったからではない。
諦めたからでもない。
むしろ、自分の本当の気持ちと向き合い続けた先に、少しずつ見えてきたものがあったからだ。
そして、その変化は今の私の心を支えてくれている。
次の章では、多くの人が勘違いしやすい「前向き」と「諦め」の違いについて、私自身の経験をもとにお話ししたい。
「前向き」と「諦め」は、全然違う

病気になってから、私はよくこんなことを言われた。
「前向きで偉いですね」
「よく病気を受け入れられましたね」
でも実は、その言葉に少しだけ違和感を覚えていた。
なぜなら、私は病気を簡単に受け入れられたわけではないからだ。
本当はこんな病気なんて受け入れたくない。
健康な体を失いたくなかったし、これからの人生を諦めたくもなかった。
何度も現実に抵抗し、自分の心に抗った。
「治るかもしれない」
「きっと誤診だ」
「なんとか元の生活に戻りたい」
そんな思いに必死に、しがみついていた。
だから私が前向きになれたのは、「もうどうでもいい」と諦めたからではない。
むしろ逆だった。
生きたいと思ったからだ。
大切な人ともっと一緒にいたい。
まだ見たことのない景色を見たい。
まだやり残したことがある。
そんな気持ちが心の奥に残っていたから、私は前を向こうとした。
諦めるというのは、希望を手放すことかもしれない。
でも前向きになるというのは、現実を受け止めながらも、希望を見失わないことだと思う。
病気が消えたわけではない。
不安がなくなったわけでもない。
それでも、
「今日をどう生きるか」
を考えられるようになった。
それが私にとっての前向きだった。
実際、多くの人は「前向きにならなければ」と自分を追い込んでしまう。
笑わなければいけない。
弱音を吐いてはいけない。
落ち込んではいけない。
そんなふうに自分を責めてしまう。
でも、本当の前向きさは無理に笑顔を作ることではない。
泣きながらでもいい。
不安を抱えたままでもいい。
怖いと思いながらでもいい。
それでも一歩だけ前に進もうとすること。
私はそれこそが、本当の意味での「前向き」なのだと思っている。
そして、その考え方にたどり着けたことで、少しずつ心が軽くなっていった。
では、どうして私の考え方は変わっていったのか。
次に、余命宣告を受けた私が少しずつ前を向けるようになった「3つのきっかけ」をお話ししたい。
考え方が変わった、3つのきっかけ

私は「前向きになろう」と頑張ったわけではない。
むしろ私は、前向きになろうとすればするほど苦しくなっていた。
未来が怖い。
不安が消えない。
答えも見つからない。
そんな状態の中で、少しずつ考え方が変わっていった。
振り返ると、そこには大きく3つのきっかけがあったと思う。
①「最悪」を受け入れたとき、逆に楽になった
病気になったばかりの頃の私は、「絶対に治る」と思い込もうとしていた。
そう思わなければ不安に押し潰されそうだったからだ。
でも現実は厳しかった。
検査結果に一喜一憂し、少し体調が悪くなるたびに落ち込み、また希望を持っては不安になる。
まるで終わりのないジェットコースターに乗っているようだった。
そんなある日、ふと気づいた。
私は病気そのものよりも、「最悪の未来が来るかもしれない」という恐怖と戦っているのだと。
そこで初めて、自分の中でこう考えてみた。
「もし本当に最悪の結果になったとしても、その時はその時だ」
もちろん簡単なことではなかった。
怖かったし、何度も涙が出た。
それでも最悪の可能性から目を背けるのをやめた瞬間、不思議と心が少し軽くなった。
敵が見えないから怖いのであって、姿が見えると覚悟ができる。
最悪を受け入れることは、人生を諦めることではない。
現実から逃げるのをやめることだった。
そして私は初めて、「今」を見る余裕を持てるようになった。
②「今日」だけを考えるようにした
余命宣告を受けてからの私は、未来ばかり考えていた。
半年後はどうなっているのだろう。
来年の誕生日は迎えられるのだろうか。
10年後なんて、もう想像もできない。
未来を考えれば考えるほど、不安はどんどん大きくなっていった。
そんなとき、ある医療関係者の言葉が心に残った。
「まずは今日一日を大切にしてみませんか」
その言葉を聞いたとき、私はハッとした。
まだ来てもいない未来に怯え続けて、今日という時間を失っていたのだ。
それから私は、「今日だけ」に集中するようにした。
今日ご飯を食べられた。
今日も朝日を見ることができた。
今日、大切な人と話せた。
本当に小さなことばかりだった。
でも不思議なことに、「今日」を積み重ねているうちに、心は少しずつ穏やかになっていった。
人生は未来を生きるものではなく、今日を生きることの連続なのだと、病気が教えてくれた気がする。
③病気が「気づかせてくれたこと」に目を向けた
病気になる前の私は、当たり前を当たり前だと思って生きていた。
朝起きられること。
ご飯を食べられること。
家族と笑い合えること。
仕事ができること。
明日が来ること。
それらはずっと続くものだと思っていた。
しかし病気は、その「当たり前」が決して当たり前ではないことを教えてくれた。
入院中、窓から見えた青空に涙が出たことがある。
以前なら何とも思わなかった景色だった。
でも、そのときの私には眩しいほど美しく見えた。
生きている。
空が見える。
呼吸ができる。
それだけで十分ありがたいと思えた。
もちろん、病気になって良かったとは思わない。
できることなら経験したくなかった。
それでも、この病気がなければ気づけなかったことがたくさんある。
人の優しさ。
家族と友人と仲間の存在。
生きていることの尊さ。
そして、「今この瞬間」の大切さ。
私は病気によって人生を奪われた部分もある。
でも同時に、人生で本当に大切なものを教えてもらったとも感じている。
だから今は、失ったものばかりを見るのではなく、病気が気づかせてくれたものにも目を向けたいと思っている。
それが、私が少しずつ前を向けるようになった大きな理由の一つだった。
今、病気と向き合っているあなたへ

もし今、あなたが病気と向き合いながらこの文章を読んでいるなら、まず伝えたいことがある。
無理に前向きにならなくていい。
頑張って笑わなくてもいい。
強い人になろうとしなくてもいい。
不安な日は不安でいい。
泣きたい日は泣いていい。
「もう疲れた…」と思う日があってもいい。
病気と向き合うということは、それだけで十分頑張っていることだから。
私自身、余命宣告を受けた当時は、毎日が怖かった。
朝、目が覚めるたびに不安になった。
検査結果に怯えた。
将来のことを考えて眠れない夜も何度もあった。
だから、今あなたが感じている苦しさや恐怖は、決して特別なものではない。
それだけ真剣に生きている証だと思う。
そしてもう一つ、どうか忘れないでほしい。
今のあなたは、十分価値のある存在だということを。
病気になると、人はつい失ったものばかり数えてしまう。
以前のように働けない。
思うように動けない。
やりたいことができない。
そんな現実に心が折れそうになることもある。
でも、人の価値は「何ができるか」だけで決まるものではない。
生きていること。
今日を懸命に生き抜いていること。
それだけでも、本当に尊いことなのだ。
私は病気になって初めて、そのことに気づいた。
だから今、この言葉をあなたに届けたい。
生きていること。
それだけで、もう十分すごい。
それだけで、もう十分価値がある。
そして、もし今が人生で一番苦しい時期だとしても、どうか希望だけは手放さないでほしい。
未来は誰にもわからない。
余命宣告を受けた私自身が、こうして今この文章を書いている。
あの頃の私は、今の自分を想像することすらできなかった。
だから人生は、本当にわからない。
今日という一日を大切に生きる。
それだけでいい。
焦らなくていい。
人と比べなくていい。
あなたのペースで、一歩ずつ進めばいい。
そしていつか、この苦しみの中にも意味があったと思える日が来るかもしれない。
私はそう信じている。
最後に・・・
このブログのタイトルでもある言葉を、あなたに贈りたい。
「生きてるだけで、もう開運。」
あなたが今日も生きていてくれたこと。
それは当たり前ではない、かけがえのない奇跡だから。
あなたが
生きてるだけで…もう開運している。
心配しなくて
大丈夫! 大丈夫! だいじょうぶ!
あなたは必ず「開運」して幸せになれます!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
—こんびね—


